2017年4月24日月曜日

地方創生・コミュニティ再生のカギは福祉にあり!



つい先日、金沢に行ってきました。

自分が考えているおんらが村構想と同じような活動をしている「シェア金沢」なるものの全貌、ごちゃまぜの街作りで地域活性がどのようにできているのかを学ぶために視察研修に参加しました。

シェア金沢については、下記を見てください。
~カンブリア宮殿~
ごちゃ混ぜの街作りで地域活性! 金沢発!大注目コミュニティの全貌
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/2016/0721/




 






理事長やスタッフの話を聞いたこと、また見学した感想は、想像以上にすごかった。


何がすごいのか?

ごちゃまぜのコミュニティと言っている通り、あらゆる人がごちゃまぜだった。

高齢者、障害者、子どもたち、学生さんやそのどれにも属さない多くの人々が、コミュニティの中でごちゃまぜに存在していた。

テレビだから良いところしか見せてないんでしょ?って思う人もいると思う。
でも、実際はあらゆる場所と場面でごちゃまぜだった。

それをあたりまえに運営できている佛子園の支援と、活動にめちゃくちゃ嫉妬したぜょ...。


地域の福祉サービスを知らない。

例えば、重度の障害者と同じ空間で生活していることはあるだろうか?
ほとんどの人がないと思う。
支援をするために空間を分けられてきたからね。

だから、地域にはどれくらいの障害者がいて、どこで活動しているのかも知らない人が多い。

それは、高齢者にとっても同じ事。
地域にある介護施設のことを知っている人は少ないと思う。身近に要介護者がいる人は知っていると思うが、身近にいない人は考えたこともないと思う。


突然の出会いが生みだすもの。

情報がない中で、地域で突然に出会ってしまう。

「なんだあの人は?大丈夫か?おかしい人。気持ち悪くない?怖いな。」

多くの場合、お互いの属性が同じ、もしくは似ているコミュニティで構成されているので、ちょっと違う人が入ってくると奇異の目に変わる。異物が紛れ込んできたみたいな。

でもそれは障害者のコミュニティの中でも一緒のこと。
一般人がマイノリティなんだから。

空間を分けられて生まれた断絶が、属性が違う人への偏見とかいじめに変わっていく。

属性の似た人たちで結束を強めるのは良いことだと思う。

でも、強いがゆえに排他的な集団になってしまう。
「中ではウェルカムだヨ!」って言ってても、外から見ると入りづらい。

集団としては排他的になってしまうことがあることを考慮していないといけない。


福祉の力が必要だ。

それらを改善していく方法として、そもそもがごちゃまぜでコミュニティを作ってしまうこと。
それによって、「私も参加できるかも。」というハードルが下がる。

それに排他的になりようもない。
だって、みんなが自分と大きく違うんだから。

自分と違う人と関わることによって、できないことをサポートし合ったりして、一人一人に役割が生まれる。
その自分にとっての役割が居場所となり、コミュニティを構成する一人一人がイキイキしたコミュニティとして再生できると思う。

障害者、高齢者、子どもたち、または一般の人たち、みんながイキイキとしたコミュニティとしてね。

それを作るには、福祉の力が必要だ。
属性の異なる人たちを集めるには、あらゆる福祉サービスを作ることが必要だからね。

福祉はすべての市民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念を言う。
介護のことだけではないんですよ、実はね。


あらゆる福祉サービスと一般の人を同じ空間で過ごせる場所を作る。
そして、ごちゃまぜに交われるようにしていく。

何度も言うけど、それがおんらが村構想であり、コミュニティ再生のカギになる。


福祉3,0。

支援するだけじゃなく、関わる、参加する福祉へ。


アップデートしていくよ、コミュニティをね。


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2017年4月7日金曜日

どうしてもだめなら逃げちゃおう!



先日、学習支援のアウトリーチ(訪問相談)に行ってきた。

そこの子どもは不登校で、学校の先生が迎えに来ても、泣きながら「行きたくない。」と訴えている。そこの学校という環境に適することが難しいからなんだろうな~と思う。



自分に向かない学校には行くべきだろうか?

自分はいかなくてもいいと思う。
学校が必要ないってことじゃない
勉強しなくていいってわけでも、社会的な教育も必要ないと思っているわけじゃない。

でも無理やり連れて行っても本人のためにならないし、拷問に近いくらいの苦い経験にもなりえるからね。
それでも行かせるほどの意味はあるのか考えていく必要があると思う。



教育は学校でするもの。

その思い込みが、「学校には行かなくちゃいけない」と行動を促す。

だけど、「~しなくちゃいけない」というのは、とても生きづらいことなんじゃないかな?

行かなくてはいけない学校。
でも行きたくても行けない。
「それは自分が悪いからなんだ。」と自己否定になって苦しんでしまう人も多いと思う。



「~しなくちゃいけない」生きづらさ。

他のことでも、みんなと同じように普通に生きることを求められる。
でもそのためには、あらゆる「しなくちゃいけない」ことが待っている。

小中高卒業したら、いい大学に行って、いい企業にいきなさい。
就職したら、結婚しなさい。結婚したら、子どもを作りなさい。
出世してお金ためて、老後貯金をしなさい。親の介護をしなさい。

これらのような大きい項目は、みんな言われることだろうと思う。


その他にも、うちは~だから~の学校に行きなさい。~なりなさい。
結婚式は親戚が多いからこのくらいの規模でね。料理はこうで、あの人は呼んでね。
長男だから実家をついで、次男だから出なさい。長女だから、お婿さんね。
もちろん、親戚付き合いもお願いね。
何か頂いたらお返しを。
でもお返し続けてたらエンドレスじゃん...。


こうして、生きていく中で無数に続く Task もエンドレス。


いろいろ人ぞれぞれと思うけど、「~しなくちゃいけない」というあらゆる思い込みと行動が、生きにくい社会を作る要因になっているのではないかと感じている。

どうしてもできなくて苦しむ人も多いだろうからね。


どうしてもだめなら逃げちゃおう!

「~しなくちゃいけない。」という無数のことから離れてみる。

そして、「逃げてもいいんだよ!」と自分に伝えてみる。

すると、フッと胸が軽くなる。

そう考えることも大事だと思う。



話がそれたな、いつもながら(笑)



学校以外での教育。

学校に行けない。
でも、スタディサプリなどのオンライン学習のようなICT学習ができるようになってきた。もっとこういうサービスは増えるだろうし、これからも学習の方法が大きく変わっていく。

それと自分でいられる居場所としての様々な社会的コミュニティーがあれば、学校へ行かなくちゃいけないという状態を減らし、縛りや焦りも少なくなっていくんじゃないかな~と思う。


その変化の在り方を学習支援事業のてらこむでは作っていきたい。

学校へ行けない、勉強がしたくてもできない、居場所がないと感じている人たちのための学校とは別のコミュニティーとして。

そういう場所がどんどん出きれば、既存のレールに乗れない多様な人々が、選択できる教育が生まれてくると思う。

※学校教育に対して批判しているわけではないです。



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地方で起こす "collective impact"

今年の1月より市より委嘱を受けた、生活支援コーディネーター(SC)というお仕事。 順調に活動を始めて3ヶ月が経ちました。 長時間ではないにせよ、月に8日活動したのでこれまで24日くらい業務しています。 現在どういう活動をしているかというと、地域住民が主体となって...